リレートーク “姫百合コース” Vol.3

第8回文化祭の思い出

今村 道子(風越14回生・竜丘支部)

 こんにちは。木下懿都子さんからリレートークのバトンを受け継ぎました今村道子と申します。私は同窓会の役員時代、2014年3月1日発行の生徒会誌「風越65号(通刊111号)」の中で「文化祭60年の歩み」という特集に寄稿させていただいていました。今回はその内容を一部改編して、文化祭の思い出を綴ってみようと思います。

 

今から62年前の昭和36年、私は飯田風越高校の3年生でした。

 その年母校は創立60周年を迎え、記念文化祭が9月22日から25日までの4日間、体育大会が26日から28日までの3日間開催されました。当時は体育系のクラブの他に、文学、数学、生物、社会、郷土、演劇、弁論他数々の文化系クラブがあり、文化祭に向けて一年をかけ研究に取り組んでいました。

※ Fの軌跡「旧校舎から新校舎へ(Gallery)」より

三六災害(※)

 ところが、この年6月末、伊那谷は未曾有の豪雨災害に見舞われました。生徒や先生の自宅、下宿も被災し、その泥出しの手伝いや疫病発生に備えての床下消毒に生徒もかり出されました。又、60周年を記念して建築中の図書館も完成を目前にして裏の崖が崩れるという予期せぬ事態になり、その補強のため生徒が校庭に並んで基礎の石を手送りリレーしたことを覚えています。飯田線も不通になり、学校も数日間休校になってしまいました。

杉の葉のアーチ

 文化祭準備に取りかかる直前のアクシデントでしたが、何とか当初の計画通り開催にこぎつける事ができました。

 入口を飾るアーチの杉の葉は学有林まで取りに行きました。杉の葉を満載し、先生の運転するトラックの荷台に女生徒が鈴なりになって公道を走る姿は、今では到底見ることのできない光景です。長閑な時代でした。

杉の葉のアーチの前で(左端が私です)

生徒会新聞より

 当時の生徒会新聞が手元に残っており、拙文でお恥ずかしいのですが、私の文化祭に対する思いが載っておりますので転載します。

 “…8月末から9月に入ると研究や準備も活気づき、各部門に分かれて研究するクラブ、土日を利用して宿泊して研究するクラブ、古い厚い本を首っ引きで研究を続ける係等、夜遅くまで続けられた活動は、お互いの親睦を増したばかりでなく、自分たちの若さとそこから溢れるファイトを再認識するに十分な力に満ちていたように思われます。一つの目標に向かって、こつこつと研究し準備して、例え不完全であっても目標に達した嬉しさは誰にも共通したものでしょう。…”

 因みにこの年の文化祭予算は83,000円でした。勿論、文化祭第1日目のメインイベントは全生徒が講堂に集まり聞いた研究発表でした。生物班の飯田駅前の池(今は無い)の水クラゲの研究、南信濃村の御池山(後にクレーターと判明)周辺の動植物の調査、郷土班の坂部の冬祭りの研究等、内外から評価される研究もありました。又、山岳班は5日間の後立山縦走の報告もあります。

文化祭準備(打ち合わせ会)

他校男子生徒と堂々と手を繋いで踊れるフォークダンス

 他に学年演劇、弁論大会、他校の演劇クラブの上演等ありましたが、何と言っても一番の楽しみは、他校男子生徒と堂々と手を繋いで踊れるフォークダンスでした。講堂の前に何となく気恥ずかしそうにたむろしていた男子が、いつも間にか輪の中に加わって楽しそうに踊っている様子は微笑ましいものでした。ジェンカ・マイムマイム・オクラホマミキサー等定番の曲を4日間、飽きもせずに踊りあかしました。

※同じくGalleryより

風越喫茶

 又、大賑わいだったのは「風越喫茶」。前日から公使室の大鍋でとった鶏がらスープのうどん、甘い甘いお汁粉は大好評で連日、生徒、保護者、他校生徒で大入り満員でした。その収入でどんぶりや湯飲み等の備品を買い揃えました。

大賑わいの「風越喫茶」(*冒頭の写真はこの白黒写真を元にAIが着色しました)

青春のファイヤーストーム

 フィナーレは最終日夜のファイヤーストーム。ご近所の方にもお断りし、夜空に青春のエネルギーが炸裂、踊ったり、歌ったり、練ったり、時には先生にもちょっぴりいたずらしたりして…。その晩は学校の礼法室に泊まり、翌日後片付けをしたのも楽しい思い出です。

※同じくGalleryより
※同じくGalleryより

 当時の写真を見ながら、私にもあった「青春」を懐かしんでいます。

生徒会誌「風越65号」表紙(*大根坂がシュール!😎👍)
生徒会誌「風越65号」裏表紙の絵(*風越生の力作!🌟)

(※)三六災害について詳しくはこちら
(国土交通省 天竜川上流河川事務所Webサイト内「三六災害60年」)