生徒会新聞より
当時の生徒会新聞が手元に残っており、拙文でお恥ずかしいのですが、私の文化祭に対する思いが載っておりますので転載します。
“…8月末から9月に入ると研究や準備も活気づき、各部門に分かれて研究するクラブ、土日を利用して宿泊して研究するクラブ、古い厚い本を首っ引きで研究を続ける係等、夜遅くまで続けられた活動は、お互いの親睦を増したばかりでなく、自分たちの若さとそこから溢れるファイトを再認識するに十分な力に満ちていたように思われます。一つの目標に向かって、こつこつと研究し準備して、例え不完全であっても目標に達した嬉しさは誰にも共通したものでしょう。…”
因みにこの年の文化祭予算は83,000円でした。勿論、文化祭第1日目のメインイベントは全生徒が講堂に集まり聞いた研究発表でした。生物班の飯田駅前の池(今は無い)の水クラゲの研究、南信濃村の御池山(後にクレーターと判明)周辺の動植物の調査、郷土班の坂部の冬祭りの研究等、内外から評価される研究もありました。又、山岳班は5日間の後立山縦走の報告もあります。