リレートーク “大根坂コース” Vol.3

『負けてたまるか風越魂』

伊藤 篤 (風越38回生・松尾支部)

●はじめに

 何につけ断れない性格が故に、今回のリレートークを引き受けてしまいました。全教科の中でも国語が大の苦手な私には荷が重いですが、思い出を紐解きながら記していきますので乱文にお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 なお、今の妻との出会いが風越高校同級生でありながら、ほとんど会話なく3年間を過ごしたことを書き添えておきます(笑)。

 また、私たちの子供も3人のうち2人母校にお世話になりました。

●入学にあたり

 実家が商売をしていたこともあり長姫高校商業科(現在のOIDE長姫高校)への受験を希望していました。ところが入試が近づき担任から「風越を受験してみないか」と言われ、戸惑いながらも担任と自分を信じ決意しました。

 結果的には運よく合格できましたが、家から10分で歩いて通える長姫高校に後ろ髪を引かれる思いで高校生活がスタートすることとなります。

若かりし頃
若かりし頃

●高校生活 その1 【完全共学1期生】

 入学して感じた事と言えば、男女共学となって間もないこともあり、私たちのクラスは男子16名女子29名計45名、圧倒的に女子が多い! しかも、家政科があった時代でした。

 上級生のクラスにおいては奇数クラスには男子がいましたが、偶数クラスにおいては女子のみで女子高の名残が感じられました。
 
 特に女子の多さを感じたのは、お昼にパンを買う時でした。私たち男子はいつも遠巻きで落ち着いた頃を見計らって買っていました。商品を選ぶようなことはできず、あるものを買うものだと思っていました。毎日似たような光景の中で、唯一心に残っているのは、パン屋のおばさんが食べたかったパンを一つ取っておいてくれたことがありました。あまりの嬉しさに今でも良い思い出となっています。
クラスメイト
●高校生活 その2 【部活編

 中学時代から陸上競技をやっていましたので、入学してすぐに陸上部に入部させていただきました。
 
 小学校・中学校時代は、校内ではゴールした瞬間に他の選手の背中を見ることがほとんどなかったのですが、さすがに高校は色々な地区から生徒が集まっているため、入部早々にして挫折を味わいました。たぶん私の陸上のピークは中学時代だったと思います。
 
 それでも毎日の部活が楽しく、勉強よりも部活の為に通っていると言っても良いくらい朝から晩まで汗を流す日々でした。通学においては近くに駅はあったものの、体力づくりのために自転車で校内の駐輪場まで行き、冬は雪が降る日はカバンをリュックに変えて走って通っていました。
 
 短距離を専門としていましたが、冬は伊那で開催される(今では有名になった伊那駅伝)駅伝に人数合わせで出場していました。まさに寒さと孤独の戦いでした。
陸上部の仲間たち

 そんな部活で最も記憶に残っているが夏の合宿です。教室に寝泊まりし、鬼監督の加藤修二先生から地獄のような特訓を受けます。中でも最終日の100m100本は思い出すだけで鳥肌が立ちます。

 これが終わったら解放されるのですが、スタートラインに立った時に脳裏を横切るのは「始まっちゃう・・・、怖い・・・」学年を重ねる毎にその辛さを知っているからこそ恐怖心が増します。それでも最後の1本になると、どこからともなく力が湧いてくるものですね。湧いてくる物は熱いものもあり、汗と混ざってこの上ない達成感を味わいました。

 伸び悩んでいたこともあり何度も退部を考えたこともありましたが、なんとか続けることができました。先生・マネージャー・後輩のおかげで、1600mリレーでは南信地区・県大会・北信越を勝ち上がり、風越男子として初の全国大会に出場することができました。

 実力が伴わない私は補欠として選手を支える側に徹しました。しかし、このことが現在の糧となったことに気が付くのはもう少し先のようです。

 “ 飯田風越高校陸上部スローガン『負けてたまるか風越魂』”

 最後まであきらめない、どんな時でも負けない強い気持ちを持つ。そんな思いを胸に刻んで3年間の陸上生活が終了しました。

●高校生活 その3 【もう一つの自分】

 陸上に明け暮れていた毎日でしたが、唯一の夢はバンドでした。部活に向かっていると軽音学部の練習の音が遠くから聞こえてきます。文化祭ともなればステージでカッコイイ演奏をしてみんなを魅了しています。「いつかは文化祭のステージに立ちたい」と思いは募るばかりでした。
 
 “ 3年になり、その時はやって来ました!”
 
 当時私は吉川晃司の大ファンで(いまでも)、ザ・ベストテンは欠かさず見ていました。その時のヒット曲がYou Gotta Chance(※)。バンドは陸上部のメンバーと有志で組み、念願のステージデビューを果たしました。
 
 後夜祭でYou Gotta Chanceを歌わせていただき、ヘビーメタルなど数曲を演奏する機会を頂き、大切な青春の1ページとなりました。
後夜祭のステージ

●進路

 インターハイも終わり残すは進路です。冒頭で触れましたが、実家の仕事の事もあり経済の大学への進学を選択しました。しかし、インターハイが終わったのは9月近く、部活しかしてこなかったツケが回ってきたのは当然のことで、担任に無理を言って推薦入試をお願いしました。偏差値は身の丈の大学で、親への負担を考慮し東京ではなく中京圏の大学へ志望しました。
 
 大学生活は楽しいことばかりで、もちろん勉強もしっかりとしましたが社会勉強が何よりもの勉強だったと自負しております。
 
 3年生になったとき兄が家業を継ぐこととなり、私は卒業後商社マンになることを決め勉学に励みました。ところが日本経済の景気の悪化などで進路が振り出しにもどり、悶々とした日々が続いていました。
 
 そんなある日、お世話になっている方にお花を贈ろうとお花屋さんに入りました。店内にいたのは男性の定員さん、女性だと緊張してしまうので良かったと思い、贈る相手の方のイメージや予算など伝えて作っていただきました。とても気さくで感じの良い対応に「男性でもこんな素敵な仕事があるんだ」と率直に感じました。出来上がったお花はとても良い感じで、相手の方の喜ぶ顔が目に浮かんでくるようでした。
 
 これこそが私が花屋になろうと決めた大きな出来事でした。
 
 名古屋のお花屋さんで修行をさせていただき、飯田に戻ることとなりました。

●『2位じゃダメなんですか?』

 花屋になり数多くの人と出会い仕事のみならず、フラワーデザインコンテストと言う新しいジャンルに取り組むようになりました。
 

 フラワーデザイナーと言われる方々のデモンストレーションやコンテストなどに参加しているうちに、「真似でもいいから出てみよう」と思いコンテストに参加し始めました。

 当初は経験の浅い若造が右も左もわからず下手くそな作品ばかりを出品し、出すたびに落ち込んでいました。回を重ねるごとに少しずつ入賞するようになり、ある感情が湧いてきました。
 
 “ 1位になりたい ! 2位じゃダメだ !! ”
 

 それは高校時代に陸上で挫折を味わいトップになることへの欲が無くなっていたからです。

 陸上では果たせなかったことを、違うジャンルで挑戦したいと強く思うようになり、ひたすらフラワーデザインの勉強を独学で始めました。

花活けバトル

 月日が経ち飯田に戻り10年、念願の内閣総理大臣賞(全国1位)を頂くことができました。風越での陸上生活の中で培った『負けてたまるか風越魂』が実を結ぶこととなったのです。

念願の内閣総理大臣賞受賞
2回目の内閣総理大臣賞受賞

 あれから30年、歳をとりましたがこれからも現役でお花とデザインに向き合いたいと思います。

●結びに

 同窓会に係るようになったきっかけは、先輩より同窓会男子部のお誘いをいただき、またまた断り切れない性格からまずは男子部に入部することになり、会長委嘱理事を経て常任理事をさせて頂きました。
 
 常任理事においては、中京支部総会へ出席させていただき交流するなかで、離れていても同窓生の心は繋がっているのだと実感しました。
中京支部総会にて
 母校の発展と個性豊かな生徒が益々増えることを願い、会長委嘱理事という立場になりましたが、今後も同窓会活動に尽力していきたいと思います。
 
 次回は技能グランプリ二部門で金賞に輝き、若くして『信州の名工』になった地元はもちろん母校の誇りでもあります桜井優さんにリレートークのバトンをタッチしたいと思います。
同級生2人で頑張ってます

花の匠 ラプリ(La Pre)
http://lapre.cc/

(※)吉川晃司 「You Gotta Chance」

※姫百合コース Vol.3は予定を変更して年末年始頃に配信予定です。